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学校の教員から民間企業へ転職した私

前職教員から民間企業に転向した気づきを日々投稿しております。

授業が怖い!でも好き!という方が好き

 

こんばんは。第二の人生を歩んでいる元教員です。

連日連夜、教員の働き方改革、とりわけ部活動の在り方への議論が絶えないですね。鴨頭嘉人さんは以前として勢いがありますね。ちなみに私は自己啓発本は買いません。広告だけでお腹一杯です。

 

今回のお話は「授業」に関してです。

教員として、当たり前のことですので、こうして書くこと自体も少々憚られるのですが、敢えてこのご時世の中で書かせていただくと…

 

先生の仕事で最も重要視されることは授業であってほしい

 

私はそう考えております。学習指導要領にもあるように、教科指導から教育とは何かを問うてほしいです。その原点に帰ることが結果的に今現場で叫ばれている教員の働き方の改善に直結するのではないかと考えております。先生方の「当たり前」も案外見えないことも多いかと思いますので。

 

学生時代のアルバイト

授業から少し脱線しますが私の大学生時代のアルバイトについて説明いたします。

高校在学中から教員志望でいながら、大学に入学した最初のアルバイトは塾講師ではありませんでした。時間が膨大にあるため、少し寄り道がしたいと考え、派遣に登録し居酒屋等の飲食からイベントスタッフ、運送業など色々なお仕事を経験させていただきました。トラック運転手のお兄さんにご馳走していただいた車中の牛丼の味は今でも忘れられません。

そのまま業種を転々とすることも考えましたが、やはり教員になるのであれば授業力がないと仕方ないと思い返しました。塾講師(時間講師)を始めたのは大学2年生を終えようとしていた頃です。

 

塾講師としての最初の挫折 原体験

漠然と、喋ることに自信を持ってエントリーした塾講師。今後の修行のためと考え集団授業を希望しました。初回授業の緊張と不安や根拠のない自信と期待は今でも忘れません。研修は勢いで乗り切っていました。そして、最初の授業対象は中学2年生でした。実のところ、子どもたちを甘くみていました。結果的にそのツケをすぐに払うこととなります。いざ本番になって…

 

緊張で声が震えていたからでしょう

慣れないスーツに着られていたからでしょう

板書も何度も間違え、書き直しても何が書いてあるのか見えなかったからでしょう

大切な生徒の名前を何度も呼び間違えたからでしょう

質問を受けて返答に吃り、濁して逃げようとしたからでしょう

威勢の良い大声だけで逃げ切ろうとしたからでしょう

 

生徒からのため息の嵐。その落胆が手に取るように分かるのです。背中を向けている際に遠くから消しゴムを投げられました。クスクスという響き渡る声。授業が終わった後の「前の◯◯先生が良かった!もう来たくない!」という純粋で至極真っ当な悲鳴。今でもその地獄のような60分を思い出す度に寝付きが悪くなります。

 

ただ申し訳ないという気持ち

実にみっともないですが、帰路でずっと自分の無力さに泣いていました。親御さんから頂いている月謝で自分は取り返しのつかないことをしてしまった、多くの方の時間を奪ってしまったという罪悪感に苛まれていました。ここまで自分が無力だと思ってもみなかったことがより恥ずかしかったです。あの日ほど教員になることを辞めようと思ったことはありません。

しかし、明け方になっても、それでも教員になることが諦めきれませんでした。全ては自分のエゴ。できることをする。その想いだけでした。

 

噺を聴いて、話して、録音して、聴くの繰り返し

相手が誰であろうと空間を掌握できる人がいます。それは圧倒的な知識と準備力だけでなく、その場で最善の選択肢を選ぶことのできるカリスマ的資質です。一緒にいて心地が良いという演出能力と英雄的資質がある人です。

こういったスキルを先天的に持ち合わせている方も一定数いらっしゃると思いますが、大半の人間は平凡であると思います。凡人は努力で補う他ないのです。

 

最近、この手のお話で共感できたのは武井壮さんが専修大学で行った「大人の育て方」の講義でしょうか。ご覧になった方も多いかと思います。

www.youtube.com

 

私の場合は自宅から最寄り駅まで、大学の最寄り駅から大学までの徒歩の移動時間で授業の内容を独りつぶやいていました。傍から見ると実に気味が悪かったことでしょう。まだワイヤレスイヤホンでの会話がなかった頃です(笑)

先輩講師の授業や好きなラジオのDJ、噺家、さまざな芸能人に渡り、彼らの録音を参考にとにかく真似てみました。

歴の長い先生がこの部分だけを読まれると「授業は授業者が一方的に話すものではありません云々」と怒られてしまいそうですが、それでも、話術は持ち合わせていた方が良いでしょう。

 

細かく分けること、分けて分けて分析すること

ヘンリー・フォードは「小さな仕事に分けてしまえば、何事も特に難しいことはない」という格言を残しています。人前で話すことにおいてそれを体現されていたのが島田紳助さんでしょう。呼吸の回数、リズム・テンポ、オチの瞬間の声のキー…大御所の芸人の方々の行動を全て記録し分析されていたようです。

何を反省したのかを細分化して追求し体現することが大切です。自分の声の録音は恥ずかしいです。そうであっても、目の前の現象を素直に受け止めて、即時取り入れることが重要だと今でも思います。素直さが成長の鍵だと思っています。

 

あの子は授業を聞かない子

学校の教員になって、何度も感じた違和感が同僚のこの類の言葉でした。無論、どこまでいっても全体の場では平均的な指導しかできないことは理解できます。あの子は「特別」で授業を聞いてくれない子と割り切りたい気持ちも分かります。

しかし、そうであっても、教員から子どもへの実行に繋がらない愚痴は聞きたくないです。スタンスの問題です。

 

どうしたらあの子が私の授業に耳を傾けてくれるのでしょう。

 

最適解を問い続ける姿勢を持ってほしいです。それが愛だと、責務だと信じています。

 

授業準備が間に合わないなら

 先生方は授業の準備時間がとにかく足りないと不満を感じていらっしゃるのが分かります。雑務が増えていることは否めません。

 

ですが、やはり時間は捻出するものです。私がITに関心を抱いたのも、授業という本質に対して注力したかったからです。加えて、たまたまITに精通している方に出会えたことが理由です。準備が辛いという方は工数削減を極限まで実践されることを強く推奨します。

 

常に満員御礼の教室の有り難さ

生徒を「お客様」と見立てる視点も大事かと思います。ただ、この「お客様」という言葉に抵抗感を感じる方が多いことも事実です。とりわけ公立の学校では以前として学校教育はサービスではないという考え方が蔓延っているように思えます。もう一度サービスという言葉を是非多面的にみていただきたいです。

 

生徒を「お客様」と呼ぶかどうかは別にしても、彼ら彼女らが、無条件に、毎日、ほぼ毎回、自分の授業という場に足を運びに来る、その現象は異様で、外的な拘束力なくしては有り得ないこと、そう自分に言い聞かせるべきでしょう。一般的には先ずお客様を都度集めることから始まるのですから。

 

そうは言いますけど

偉そうに当たり前のことを綴っているかと思います。それでも私は本質的なことを支持したいです。

今日も多くの先生方が世を徹し読破した書籍をもとにどんな授業を展開しようかと生みの苦しみの中にいらっしゃることは知っております。絶え間なく実践と発信を繰り返される先生方には頭が下がります。(それは学校の先生に限ったことではなく、学校の外ではスピード感が全く違うことも事実なのですが)

校種によっても事情が全く異なるのも分かります。特別支援学校・小学校・中学校・高等学校で苦心されているポイントも違うことでしょう。

 

ただ、生徒の学校生活の大部分が授業であること、それは疑いの余地のないことです。ですから、ぜひ同僚の先生方に訊いてみていただきたいです。

 

授業楽しいですか

授業のどこに力を注いでいますか

あなたの授業にどれくらい価値がありますか

あなたの授業に何の意味がありますか

 

その周りの先生の返答によって大きく人生が転換するかもしれません。ぜひ、なぜ教員になったのかという原体験を、生徒へ、保護者へ、同僚の教員へ、あるいは転職先へ共有されることを願っております。私も追々更新してまいります。

ここまでお読みいただき感謝いたします。